中学1年生の夏にに私は祖母をなくした。

中学1年生の夏にに私は祖母をなくした。共働きだった両親にかわって小さい頃から、私や妹の幼稚園の迎えや長期休みには私たちを連れて出掛けに行ったりもしていた。祖母の体調が優れなくなってからは施設に入所したが、施設でも元気に過ごしており私も定期的に会いに行っていた。しかし、突然亡くなった。数日前にあった時は元気だったためあまりにも急のことですぐには受け入れることが出来なかった。

私は幼少期の大半をフィリピンの人里離れた小さな町で過ごした。両親は都会にいて、私は祖母や叔父叔母と小さなコテージで暮らしていた。小さな薪ストーブとストーブパイプがあった。祖母は私たちのために料理をしてくれましたが、いつも食べ物のほとんどを配っていました。だから私はほとんど豆と米しか食べられなかった。でも寒くなると、祖母はお湯を沸かしてくれて、鶏肉や肉を少し食べた。特別なものではなかったけれど、何も食べないよりはよかった。 彼女は、私たちがアメリカに移って数ヵ月後に亡くなった。見舞いに行くと、まだ生きていた。病院に運ばれていた。心臓は止まっていた。だから彼女は死んでいた。どれくらいそこにいたかはわからない。病院で、彼女は死んだから家に帰れと言われた。彼女と離れたくないのに、離れることができなくて、たくさん泣いたことを覚えている。どうやって外に出ればいいのかもわからなかった。看護師が、彼女が話していたことのひとつに、”彼女なしではどこにも行けない “と言っていたのを覚えている。信じられないような安堵感だった。私はとても孤独だった。 だから、私は彼女を連れて行った。どこに住もうか迷ったが、フロリダに行くことにした。でも行けなかった。

Photo by w_lemay

この作品の出来はいかがでしたでしょうか。ご判定を投票いただくと幸いです。
 
- 投票結果 -
よい
わるい
お気軽にコメント残して頂ければ、うれしいです。