拝啓高橋道史様ご無沙汰しております。

拝啓高橋道史 様ご無沙汰しております。お元気ですか?難波ですこの度の中学卒業生の食事会の案内ですが、誠に残念ですが、不参加とさせていただきます。2年程前より腎臓が悪化し、人工透析を2日毎に4時間行ってます。旅行もする事が出来ず、外出もあまり1人では出来ない毎日の生活です。皆様に逢いたいですが残念です。宜しくお願い致します。

高橋道史の最後の書き込みは、沖縄戦初日の1945年1月1日の朝だった: 親愛なる高橋道史様、大変申し訳ありませんが、私は中学校の卒業祝いの食事会を欠席させていただきます。旅行にも行けず、一人で出かけることもあまりできません。皆さんにお会いしたかったのですが、残念です。よろしくお願いします。席にお着きください 当時、高橋の名前は珍奇なものだった。自殺の前日、彼はアパートの全財産を 「廃棄物 」だと言って軍に渡していたからだ。彼は誰とも書面でのやりとりをしなかった。日本に来て間もない家族は、彼と連絡を取ることができなかった。 しかし、日本軍は彼が亡くなる数週間前から彼の家に出入りしていた。彼の持ち物、本、原稿、衣服、レコード、タイプライターなどを押収した。彼の本棚を捜索し、彼の生涯を記録した最後の紙である日記を持ち去った。日本軍が少なくとも月に1回は家を捜索するのは珍しいことではなかった。 しかし、日本軍だけではない。全国の多くの軍営住宅では、居住者はアパートへの出入りを禁じられていた

Photo by srcehr

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